内容紹介
南北朝時代の琵琶法師・覚一(かくいち)が1371年に完成させたといわれる覚一本を、割愛することなく原文のまますべて収録しています。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。(巻第一)
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この世に変わらぬものはない。
栄華を極めた平家一門もついには滅亡の運命をたどる。
平忠盛(平清盛の父)の昇殿から六代目(清盛の曽孫)の処刑まで、わずか二十余年の間に繰り広げられた動乱の歴史には、さまざまな人間模様が描かれる。
平家の栄華、後白河法皇の院政、山門の僧たちの騒動、源氏の台頭、数々の源平合戦、滅びゆく平家――その興亡に巻き込まれた女たち、幼き天皇の悲運、出家し後生を弔う者たち・・・ほぼ実在するといわれる登場人物は、千人を超える。
仏教的無常観を底流におき、この世の栄枯盛衰を和漢混交文であますところなく描いた『平家物語』は、中世では琵琶法師の弾き語りによって広まった。もとより音声の文学として享受された『平家物語』を、いま朗読という形で、あらためて語り継ぐ。
巻第一 収録内容
仏教の無常観を記した有名な冒頭から始まる巻第一は、天承二年(1132年)の忠盛の昇殿から、安元三年(1177年)の大火による内裏の焼失までが描かれる。
桓武天皇の血筋である平氏は、忠盛のときに昇殿を許され、その子清盛は、保元・平治の乱の活躍で、絶大な権力を持った。平家一門はことごとく官位につき、栄華を極める。平家のふるまいは次第に目に余るようになるが、厳しい言論統制のもと、人々は口を閉ざす。清盛に翻弄された白拍子の女たちもいた。後白河院とその近臣たちは鹿の谷でひそかに平氏討伐の企てをするのだった。
01 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)
この世のあらゆるものは無常であり、栄華を極めた者もいつかは滅びる。昨今の我が国では平清盛がそのよい例である。
02 殿上闇討(てんじょうのやみうち)
平忠盛は多大な寄進をして鳥羽上皇より昇殿を許される。殿上人たちはこれを妬み、闇討ちを企てるが、忠盛は機転を利かせて闇討ちを回避した。
03 鱸(すずき)
忠盛の跡を継いだ清盛は保元・平治の乱で武勲をあげ、太政大臣にまで昇りつめる。かつて清盛が熊野を参詣したとき、船に鱸が飛び込んでくるという吉兆があったという。
04 禿髪(かぶろ)
清盛は出家したが、その権勢はさらに増した。禿髪(おかっぱのように切りそろえた髪形)に赤い衣服を着た童たちが市中に放たれ、平家を悪く言う者は徹底的に検挙された。
05 吾身栄花(わがみのえいが)
平家一門は繁栄し、清盛の息子も娘もみな栄華を極めた。平家が治める国は日本六十六か国中、三十余国となり、半分以上が平氏の支配下となった。
06 祇王(ぎおう)
清盛は白拍子の祇王を寵愛していたが、若い仏御前が現れるとあっさり乗りかえてしまう。失意の祇王は母と妹とともに出家する。のちに仏御前も尼となって祇王のもとに行く。四人は一心に仏道修行をし、それぞれ往生したという。
07 二代后(にだいのきさき)
父・後白河法皇と対立する二条天皇は、故近衛天皇の后を強引に自分の后にした。二代にわたる后は先例のないことで、后はその運命を悲しんだ。
08 額打論(がくうちろん)
二条天皇は病になり譲位するが、そのまま亡くなる。葬送のとき墓所にかける寺の額の順序を破って、延暦寺の額が先にかけられた。興福寺の僧たちは怒り、その額をさんざんに叩き割ってしまう。
09 清水寺炎上(きよみずでらえんしょう)
そののち、延暦寺の僧たちが都に乱入してきた。騒動の中で、後白河院が延暦寺に命じて平家追討をするとの噂が流れるが、延暦寺は興福寺の末寺である清水寺をすべて焼き払い、先日の報復を果たした。
10 東宮立(とうぐうだち)
建春門院を母とする後白河院の第三皇子は親王、東宮を経て、天皇の位についた(のちの高倉天皇)。建春門院の兄である平時忠の権勢はめざましく、「平関白」と呼ばれるほどであった。
11 殿下乗合(てんがののりあい)
清盛の嫡男重盛(しげもり)の子資盛(すけもり)が、参内途中の摂政藤原基房(もとふさ)の一行と遭遇するが下馬の礼を取らなかったため、恥辱を受けて帰ってくる。重盛は資盛をいさめるが、清盛は激怒し、屈強の侍たちを集めて基房を襲い、供の者たちの髻(もとどり)を切るという暴挙に出た。
12 鹿谷(ししのたに)
高倉天皇は元服し、清盛の娘徳子(とくこ)が入内した。そのころ大将の職が空き、名だたる貴族たちが後任を望んでいたが平家一族が任命される。それを恨んだ藤原成親(なりちか)は、鹿の谷にある俊寛(しゅんかん)の邸で後白河法皇や西光法師らと平氏討伐の企てをする。
13 俊寛沙汰 鵜川軍(しゅんかんのさた うがわいくさ)
俊寛の気質や北面の武士の台頭から反平家の動きが起こり始めていた。後白河院の近臣西光法師の子師高(もろたか)と師経(もろつね)は加賀国の役人となるが悪政を行い、白山の末寺鵜川寺の僧たちと衝突する。僧たちは白山の神輿をかついで比叡山へ訴える。
14 願立(がんだて)
山門の僧たちは師高と師経を罰するよう奏上するがなかなか裁断がおりない。山門の訴えは昔から軽視できぬもので、かつて後二条関白師通(もろみち)は山王の怒りにふれ、重い病に臥す。母の懸命の祈りによって、三年延命されたが三十八歳で亡くなったという。
15 御輿振(みこしぶり)
たえかねた山門の僧たちはついに神輿を振り上げて入京する。源平の武士たちは招集され宮中の警護にあたる。少ない手勢の源頼政(よりまさ)は渡辺唱(となう)を使者に立てて、僧たちとの衝突を避けるが、待賢門に回った僧たちは多勢の重盛軍にさんざんに攻められ、山へ退却した。
16 内裏炎上(だいりえんしょう)
神輿に矢を立てられた山門の僧たちの憤りは激しく、不穏な噂も流れるなか、平時忠が使者となり山門の怒りを鎮める。ようやく師高・師経は処罰された。のちに京は大火にあい、内裏にいたるまですべて焼き尽くされる。山王の使者である猿が京に火をつけたと人々は夢に見たという。
作者・成立
作者未詳。『徒然草』に、平家物語の作者は信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)という記述があるが、確証はなく異説も多い。
成立は十三世紀初めごろ。琵琶法師の平曲によって全国に広まったため、巻数や内容の差異があるさまざまな異本が伝わる。当初は三巻本であったが、十二巻本に増補され、さらに灌頂巻(かんじょうのまき)が加わった覚一本が現在ではよく知られている。覚一本は、琵琶の名手・覚一(かくいち)が1371年に完成させたものといわれる。
朗読:岡崎 弥保(おかざき・みほ)
俳優・語り手。
東京女子大学卒業、同大学院修了(日本古典文学専攻)。言葉の力に魅せられ、編集者を経て、俳優・語り手に。演劇・語りの舞台に数多く出演。2010年朗読コンクール優勝(NPO日本朗読文化協会主催)。俳句「藍生」(黒田杏子主宰)会員。『源氏物語』全五十四帖(与謝野晶子訳)の朗読CDをはじめ、「おくのほそ道」「にほんむかしばなし」「小泉八雲怪談集」「ひろしまのピカ」「夏の花」等、収録多数。
●公式サイト「言の葉」http://ohimikazako.wix.com/kotonoha/
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