内容紹介
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中村恒子先生は、1945(昭和20)年・終戦迫る6月に医者になるため16歳でたった一人、広島の尾道から大阪へ出てきました。
その後、89歳の現在までずっと精神科医として働いてこられました。つい最近まで週6日フルタイム勤務を続け、2017年の8月からようやく週4日勤務に減らされたばかり。
身長148センチ、体重40キロ足らずの小さな体からは、温かく深い慈愛のこもった言葉が発せられます。
その言葉で、患者さんたちは再び生きる勇気を復活させるのです。それは、弱々しく細ったろうそくの光がゆるゆると輝き、力強い炎を取り戻していくかのようです。
もちろん、患者さんだけではありません。恒子先生にかかわる人の多くが、そのたんたんと働く姿、その人柄にふれることで、力をもらって元気になっていくのです。
今回、聞き書きをさせていただいた私自身もその一人です。
先生の生き方は、一言でいうと「日々たんたん」。決してスマートではなく、効率的でもないのですが、いつでも目の前のことに徹して生きています。そして、そこにまったく無理がないように見えるのです。
どこまでも自然な姿に、「ああ、こんなふうに生きてもいいのか」「こんなふうに生きればいいのか」そんな気づきを与えてくれます。
どうしたら、恒子先生のように日々たんたんと生きていくことができるのか? 結果としてそれが「うまいことやる」ことになるのか? その波乱万丈な半生を含め、ぜひ最後までお楽しみください。
(聞き書き・奥田弘美より)
もくじ
はじめに
書き手より
第1章 なんのために、働きますか?
01 「お金のために働く」でええやない。
02 「こんなの自分の仕事ではない」と考える前に、まずはスッキリ受け入れてみる。そうしないと、人は先に進めない。
03 仕事が好きじゃなくてもまったく問題ない。「やらないよりやったほうがマシ」くらいが続けていくにはちょうどいい。
04 会社は他人がつくったお金儲けのための箱。進むもやめるも最後は自分で決める。その選択は、誰のせいにもしない。
【コラム】episode1「終戦直前、広島から大阪へたった一人で向かった少女」
第2章 期待しないほうがうまいことやれる
05 「幸せでなければいけない」と、思わないほうが幸せ。余計な荷物は、おろしていく。
06 人を変えることにエネルギーを使わない。「自分がどうしたら快適に過ごせるか」にエネルギーを使う。
07 情は、執着の証。たとえ家族でも、自分は自分、他人は他人。我を押しつけると、相手も自分もつらくなる。
08 与えられることをあたりまえだと考えてはいけない。もらったものに感謝をする。そして、それ以上は望まない。
09 相手の都合を大切にする。そしたら、自分の都合も大切にしてもらえる。
10 チャンスは、偶然の中でしか生まれない。ポンと背中を押されたら、流れに身を任せてみる。
【コラム】episode2 「時代に翻弄されながら、医師への道をつかむ」
第3章 人間関係には、妙がある
11 かけねなしに弱みをさらけ出せる話相手がいるかどうか。それが元気になれるいちばんの秘訣。
12 ケチケチせずに細かいことを引き受けていくと、小さな親切が循環していく。
13 言い争いのあとは、先に謝るが勝ち。しょうもない我を張ると、居場所がなくなっていく。
14 仲良くする人は、好き嫌いで選べばいい。損得勘定で付き合うと、いいようにされるか、孤独に悩むか、どっちかになる。
15 その人と付き合うべきか、離れるべきか、答えを性急に求めない。心の距離感を変えれば、それなりに付き合うことはできる。
16 一人で生き方を計画したって、そのとおりには絶対にいかない。だから、細かく計画はしない。
【コラム】episode3 「精神科医が、一生の仕事になった理由」
第4章 心を平静に戻す
17 先のことは、心配してもわからない。目の前のことがおろそかになっていなか?気にかけるのはそれだけにする。
18 しんどい思いは、あとになるといちばん大事な経験だったと感じられる。だから、一つもムダにはならない。
19 うまくいかないことが続くときは、立ち止まってはいけない。立ち止まると、先に進めない。
20 夜の仕事は、「よく眠る」こと。確実に起きることがわかっていることだけ、手を打てばいい。「それ以外は知らん」でいい。
21 「自信がない」は、悪いことじゃない。急ごしらえの自信が、いちばん危ない。
22 悲しいことやショックなことから立ち直るためには、アドバイスではなく、「日にち薬」が必要。
23 人と比べたくなるのは仕方ない。でも、どんな元気そうな人でも悩んでいない人はいないことを知る。
24 がんばらなくてはいけないときは、そのうちくる。だから、そうでないときは必要以上にがんばらない。
【コラム】episode4「結婚、出産、専業主婦、そして思わぬ復職」
第5章 あれやこれやを、両立していくには
25 仕事の質は、中途半端で大いに結構。手抜きしてもいいから、途中で投げ出さないことがいちばん大事。
26 家庭の平和が、何においてもいちばん。それさえ守れれば、あとはぼちぼちで。
27 人生に辛抱する期間はつきもの。ラクに辛抱できる方法を考える。
28 人を育てることは、結果的に、自分を育てることになる。
29 子を育てるために必要なのは、テクニックよりも一つの行動。
30 人の巣立ちをじゃましてはいけない。1から10までめんどうを見ると、成長は止まってしまう。
31 孤独死、大いに結構。死に方をあれこれ心配してもしょうがない。
【コラム】episode5「悩み、苦しみ、それでも働き続けねばならない。人生最悪の日々」
第6章 「日々たんたん」な生き方
32 難題にぶつかったときも、「大丈夫、きっとなんとかなる」。
33 他人には他人の人生、自分には自分の人生があることを徹底して線引きしていくと、余計な軋轢も、ストレスも少なくなる。
34 人間関係の秘訣は「距離感」に尽きる。踏み越えてはいけない一線は、決して越えずに保ち続けること。
35 孤独であることは、寂しいことではない。「孤独はよきもの」と受け入れると、ラクになることがいくつもある。
36 そんなにすぐに、結果は出ない。焦るときほど、上や下、過去や未来ではなく、「今この瞬間」を大切にする。
【コラム】episode6「夫を見送ったのち、老いてもなお仕事の神様に望まれて」
37 はなばなしい成功や活躍せずとも、一隅を照らす存在になればよし。
おわりに
中村 恒子(なかむら・つねこ)
1929年生まれ。精神科医。
1945年6月、終戦の2か月前に医師になるために広島県尾道市から一人で大阪へ、混乱の時代に精神科医となる。二人の子どもの子育てを並行しながら勤務医として働き、2017年7月(88歳)まで週6日フルタイムで外来・病棟診療を続けている(8月から週4日のフルタイム勤務となる)。「いつお迎えが来ても悔いなし」の心境にて生涯現役医師を続けている。
奥田 弘美(おくだ・ひろみ)
1967年生まれ。精神科医・産業医(労働衛生コンサルタント)。日本マインドフルネス普及協会代表理事。
内科医を経て、2000年に中村恒子先生と出会ったことをきっかけに精神科医に転科。現在は精神科診療のほか都内20か所の企業の産業医としてビジネスパーソンの心身のケアに従事。著書に『何をやっても痩せないのは脳の使い方をまちがえていたから』(扶桑社)、『1分間どこでもマインドフルネス』(日本能率協会マネジメントセンター)、『心の毒がスーッと消える本』(講談社)など多数。
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