UFO怪談とは
幽霊や妖怪を見た、異界の風景を見た、不思議なことが起こった。
これを語ることが怪談であるならば、UFOを見た、という一連の出来事も怪談になるはずです。
天狗、狐火、人魂として伝えられる古典怪談も、UFOという言葉が無かった頃の空中飛翔体だったのかも知れません。
ですから私は改めて、現代の不可思議であるUFOに関連した話を「UFO怪談」として発表していく所存です。
もちろんそこには、UFOに対する歴史や問題も提示しながら、時代によって変遷していくUFOも解説していきます。
第一弾は『フー・ファイターとエンジェル・ヘアー』。
UFOという言葉がまだない、戦前、戦中、戦後のお話を中心に、披露していきましょう。
内容紹介
ヘッドライト(6分)
私が小学生の頃に、父と見た故郷である竹田城で目撃したもの。
夜、竹田城の山を登って行く、車のヘッドライト。ところがそれは……。
銀色の発光体(6分)
私が中学生になってみたもの。それは学校からの帰り道。竹田駅を降りて実家に向かう途中、空中に銀色に輝く発光体が!!
見ているとそれは!!
火星の写真(13分)
我が故郷は、UFO目撃談も多く、写真に撮られて地方新聞で報じられたこともあった。
写真と言えば、1976 年 7 月 20 日、アメリカの探査機バイキング 1 号が人類初の、火星の表面への軟着陸を果たし、これを日本のニュース番組かワイドショーが盛んに報じていたが、ここに不可解な写真が公開され、すぐに消されたということがあったが、ご存じだろうか?
UFO怪談とは(8分)
幽霊や妖怪の目撃談が怪談として成り立つなら、UFOも怪異である限り、怪談となるはずだ。もちろん難しさもある。
UFOを見ても呪われないし祟られない。宇宙人という言葉はなぜか緊張を生まない。宇宙人を見たというと頭がおかしいか妄想と思われる。
しかしMIBという男たちの話、UFOにさらわれ内部を見たという証言もある。これらは料理の仕方で恐ろしくも不思議な怪談になるのだ!!
彼は宇宙人?(13分)
私の元にある女性から恋愛相談があった。「なんで私に?」と思ったが、女性の相談を聞いているうちに彼女の彼氏が宇宙人だったというとんでもない話であった。
もちろん私は即座に否定した。ところがその半年後、その彼氏について不思議な情報が舞い込んできた。
戦時下のフー・ファイター(16分)
UFOという言葉ができたのは、1947年。ケネス・アーノルド事件以降のことである。それまでは米軍や欧州の空軍は謎の発光飛翔体をフーファイターと呼び、日本陸軍は火玉、海軍は火弾と呼んでいた。つまり目撃報告は多々あったのである。時代はまさに第二次世界大戦。世界の軍隊はこのフーファイターに悩まされていた。一体なにがあったのだろう?
天使の殺人糸(34分)
戦後間もなく、謎の飛翔体が上空に現れると、大量の糸のようなものが降ってくるということが報告されるようになる。世界中で報告されたその糸は、エンジェル・ヘアーとも呼ばれた。「八甲田山の彷徨」を書いた作家、新田次郎氏も満州から引き上げる途中、エンジェルヘアーを見たという。なんとそれは、人を殺したというのだ!!
ゼロ戦(11分)
戦中、戦後に北海道の農村の各地に現れた謎の飛行物体。UFOという概念が人々の頭には全くなく、目撃をしたある人はそれをゼロ戦だというが、そうではない。あれは銀色に光る円盤状のものだという証言が寄せられた。そして光る物体を見た人は、ある奇妙な行動を起こすようになる。「あの人たちは変な電磁波でも受けたんとちがうか」という噂が立つようになった……。
中山 市朗(なかやま いちろう) プロフィール
作家、怪異収集家
1982年、大阪芸術大学映像計画学科卒業。映画の助監督や黒澤明監督の『乱』のメイキングの演出などに携わる。
1990年、扶桑社から木原浩勝との共著で『新耳袋〜あなたの隣の怖い話』で作家デビュー。『新耳袋』はそれまでただ怪談で括られていたものから、実話だけにこだわり百物語を一冊の著書で実現化させた。
『新耳袋』は後にメディアファクトリーより全十夜のシリーズとなり復刊。『怪談新耳袋』として映画やドラマ、コミックとして展開。
Jホラーブームを作った作家や映画監督に大きな影響を与え、ブームをけん引することになる。
著書に『怪異異聞録・なまなりさん』『怪談実話系』『怪談狩り』シリーズなどがある。
怪談は語ることが重要と、ライブや怪談会、放送などでも積極的に怪談語りを行っている。その他の著書に『捜聖記』『聖徳太子・四天王寺の暗号』『聖徳太子の「未来記」とイルミナティ」など多数。
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