道理を知り無邪気であれ。修養と処世の手引き。
渋沢栄一の名著として知られる『青淵百話』を読みやすい現代語訳で、四分冊にして刊行。
紆余曲折の人生を歩んだ渋沢栄一の言葉だからこそ、多くの生きる術が得られる。大著「青淵百話」より、若者に贈ることばを中心に再構成。
非凡さはいらない。必要なのは平凡な常識を円満に備えた人である。
青年は誰しも己を過信し、徒に不平不満を発して軽挙妄動に走り、そうして自ら誤った方向に道を定めてしまうものである。
若き日の渋沢栄一もまたその一人であった。一七歳にして幕末の世の不合理を嘆き、武士となって国を変えるという分不相応な立志を抱き、結果として道に迷い尊皇攘夷に走った。
維新後、日本の商工業の発達の必要性を感じた渋沢は、自分自身の素質と才能を顧みて、三十歳の時に実業家として生きることを決意し、生涯歩むべき道とした。このときが真の立志であったと渋沢は語り、青年期を迷走して無駄に過ごし、立志が遅れたことを悔いている。
渋沢は自身の経験を逆説として、
「青年にはよく精査して志を立て、有意義な生涯を送ってほしい」と言う。
若者は新しい知識や技術を早くから学ぶことができる。そうであれば、常識や人格を正しく修養して素質に応じた志を立てれば将来は明るいはずであると青年を激励し、その修養法や社会で生き抜くための処世術を教える。
青年期は人生における大切な修養期間である。若者たちが自分を磨いてその本領を知り、自信を持って社会に出られるよう渋沢は切望する。渋沢が若者たちに贈る期待と勇気に満ちた言葉は、時代を超えて現代の若者たちにも向けられていることを我々は知る必要がある。
目次
第1部 自分の道(立志の工夫、功名心、成功について ほか)
第2章 自分を磨く(人格の修養、精神修養と陽明学、常識の修養法 ほか)
第3章 交際・娯楽について(未婚女性の覚悟、結婚と男女交際、交際の心得 ほか)
終章 (故郷に対する思い)
渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)
現在の埼玉県深谷市の豪農に生まれる。幕末の動乱期には尊皇攘夷論に傾倒、のちに一橋家に仕える。欧州各地を視察して帰国後、大蔵省租税司、大蔵権大丞を歴任。辞職後は実業に専心し、第一国立銀行(第一勧業銀行の前身)の創設をはじめ、実業界の第一線から退くまで500あまりの会社を設立、資本主義的経営の確立に大いに貢献した。晩年は社会・教育・文化事業に力を注ぎ、東京高等商業(現一橋大学)等の設立を斡旋し、東京市養育院等の各種社会事業にも広く関係した。
※本商品は『渋沢栄一 立志の作法 成功失敗をいとわず』
(国書刊行会刊 渋沢栄一著 ISBN:978-4-336-05313-8 1,890円(税込))
をオーディオ化したものです。(C)Eichi Shibusawa
|