内容紹介
弘前藩津軽家の侍医・考証学者であった渋江抽斎の伝記を調べるに至った過程と、彼の生涯を描いた伝記小説
「武鑑」収集の途上で抽斎の名に遭遇し、心を惹かれた鴎外は、その事跡から交友関係、趣味、性格、家庭生活、子孫、親戚にいたるまでを克明に調べ、生きいきと描きだす。
当時ほとんど未知であった抽斎の探索行がそのまま書き込まれるとともに、その妻・五百(いほ)をはじめとして、周辺人物も生き生きと描かれ、さらには抽斎没後の子孫の行く末にまで及んでいる。封建治下の文化人の安心立命の形がくっきりと浮かび上がり、森鴎外第一の傑作として世評が高い作品。
<作品冒頭>
その一
三十七年如一瞬。学医伝業薄才伸。栄枯窮達任天命。安楽換銭不患貧。
これは渋江抽斎の述志の詩である。
想うに天保十二年の暮に作ったものであろう。
弘前の城主津軽順承の定府の医官で、当時近習詰になっていた。
しかし隠居附にせられて、主に柳島にあった信順の館へ出仕することになっていた。
父允成が致仕して、家督相続をしてから十九年、母岩田氏縫を喪ってから十二年、父を失ってから四年になっている。
三度目の妻岡西氏徳と長男恒善、長女純、二男優善とが家族で、五人暮しである。
主人が三十七、妻が三十二、長男が十六、長女が十一、二男が七つである。
邸は神田弁慶橋にあった。
知行は三百石である。
しかし抽斎は心を潜めて古代の医書を読むことが好で、技を售ろうという念がないから、知行より外の収入は殆どなかっただろう。
ただ津軽家の秘方一粒金丹というものを製して売ることを許されていたので、若干の利益はあった。
抽斎は自ら奉ずること極めて薄い人であった……。
森鴎外
1862年(文久2年)島根県に生まれる。森家は津和野藩の典医を務めた。10歳の時、父と上京し、官立医学校に入るためにドイツ語を学ぶ。1873年、東京大学医学部に12歳で入学。卒業後は陸軍軍医副になり、東京陸軍病院に勤務し、ドイツの衛生制度を調べるためにドイツに留学。1889年「小説論」、翻訳戯曲を発表するなど軍医でありながら文筆活動をしていた。「陸軍省医務局長まで務めたが、1916年に退官。その後、東京国立博物館に就任。1922年に60歳で死去。
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