内容紹介
南北朝時代の琵琶法師・覚一(かくいち)が1371年に完成させたといわれる覚一本を、割愛することなく原文のまますべて収録しています。
平家みなほろびはてて、西国もしづまりぬ。国は国司にしたがひ、庄は領家のままなり。上下安堵しておぼえし程に、同七月九日の午刻ばかりに、大地おびたたしくうごいてやや久し。(巻第十二・大地震)
巻第十二 収録内容
巻第十二は壇の浦で平家が敗れた後の元暦二年(1185年)七月からを描く。平家の残党狩りが行われ、文覚の力を借りて助命されていた平家直系の六代御前もついには斬られ、平家の子孫は絶え果てた。
壇の浦合戦で勝利をおさめた源義経は兄・頼朝と不和になり、都落ちをする。頼朝は全国を統治し、平家の残党狩りを行う。直系である平維盛の嫡子・六代も捕らわれるが、文覚に救われ、のちに出家する。後白河法皇や頼朝の死後、文覚は朝廷に謀反を企てて隠岐に流される。その際に六代も斬られ、ついに平家の子孫は絶えることになった。
01 大地震(だいじしん)
平家が滅び、世も鎮まるかに見えたが、大地震が起きて大惨事となった。人々は安徳天皇や平家一門の怨霊の祟りではないかと恐れた。
02 紺掻之沙汰(こんかきのさた)
文覚(もんがく)が頼朝(よりとも)の父・義朝(よしとも)の髑髏(どくろ)を保持していた紺掻の男を伴い、髑髏を鎌倉に届ける。頼朝は亡父の首を厚く供養し、朝廷は義朝の墓に贈官贈位する。
03 平大納言被流(へいだいなごんのながされ)
捕らわれた平家の配流地がそれぞれ決まる。平時忠(たいらのときただ)は、建礼門院(けんれいもんいん)と別れを惜しんだ後、配流先の能登へと向かう。
04 土佐房被斬(とさぼうきられ)
梶原景時(かじわらかげとき)の讒言から義経(よしつね)の謀反を疑う頼朝は土佐房正俊(とさぼうしょうしゅん)に義経暗殺を命ずる。察知した義経は土佐房を捕らえ、斬首する。
05 判官都落(ほうがんのみやこおち)
土佐房が討たれたことを知った頼朝は、範頼(のりより)に義経追討を命じるが、範頼は速やかに応じなかったため殺された。都落ちを決意した義経は船で九州をめざすが暴風に阻まれてかなわず、奥州へ下る。頼朝の代官として北条時政(ほうじょうときまさ)が入京し、義経追討の院宣を賜る。
06 吉田大納言之沙汰(よしだだいなごんのさた)
頼朝は吉田大納言経房(つねふさ)を通じ、惣追捕史(そうづいふくし)となり、諸国に守護地頭をおいた。経房は厳正誠実で立派な、希有の人物であった。
07 六代(ろくだい)
平家の子孫狩りが行われ、維盛(これもり)の長男・六代も捕らえられる。乳母の懇請を受けた文覚は北条時政に猶予を乞い、頼朝の赦免状を持ち帰り、間一髪で六代の命を助ける。
08 泊瀬六代(はせろくだい)
六代は文覚に引き取られ、母と再会する。北条時政は行家(ゆきいえ)・義憲(よしのり)追討を甥の時貞(ときさだ)に命じる。行家は捕らわれ処刑され、義憲は自害した。手柄を立てた常陸房正明(ひたちぼうまさあき)は流罪にされた後、恩賞を賜った。
09 六代被斬(ろくだいきられ)
六代は出家し、高野・熊野に亡父の跡を訪ねる。八島から落ちのびた平重盛(しげもり)の子・忠房(ただふさ)は抵抗していたが、頼朝に謀られて投降し斬られる。藤原経宗(つねむね)の養子となっていた重盛の子・宗実(むねざね)も頼朝に召喚された後、断食して命を絶つ。知盛(とももり)の子・知忠(ともただ)、越中次郎兵衛盛嗣(もりつぎ)など、平家残党狩りは続いた。頼朝が死去すると、文覚は朝廷に謀反を企てるが失敗し、隠岐へ流された。そして高雄で修行していた六代が斬られ、ついに平家一族は滅亡した。
作者・成立
作者未詳。『徒然草』に、平家物語の作者は信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)という記述があるが、確証はなく異説も多い。
成立は十三世紀初めごろ。琵琶法師の平曲によって全国に広まったため、巻数や内容の差異があるさまざまな異本が伝わる。当初は三巻本であったが、十二巻本に増補され、さらに灌頂巻(かんじょうのまき)が加わった覚一本が現在ではよく知られている。覚一本は、琵琶の名手・覚一(かくいち)が1371年に完成させたものといわれる。
朗読:岡崎 弥保(おかざき・みほ)
俳優・語り手。
東京女子大学卒業、同大学院修了(日本古典文学専攻)。言葉の力に魅せられ、編集者を経て、俳優・語り手に。演劇・語りの舞台に数多く出演。2010年朗読コンクール優勝(NPO日本朗読文化協会主催)。俳句「藍生」(黒田杏子主宰)会員。『源氏物語』全五十四帖(与謝野晶子訳)の朗読CDをはじめ、「おくのほそ道」「にほんむかしばなし」「小泉八雲怪談集」「ひろしまのピカ」「夏の花」等、収録多数。
●公式サイト「言の葉」http://ohimikazako.wix.com/kotonoha/
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