内容紹介
南北朝時代の琵琶法師・覚一(かくいち)が1371年に完成させたといわれる覚一本を、割愛することなく原文のまますべて収録しています。
元暦二年正月十日、九郎大夫判官義経、院の御所へ参ッて、大蔵卿泰経朝臣をもッて奏聞せられけるは、「平家は神明にもはなたれ奉り、君にもすてられ参らせて〈中略〉平家をせめおとさざらんかぎりは、王城へかへるべからず」(巻第十一・逆櫓)
巻第十一 収録内容
巻第十一は源平合戦のクライマックス、元暦二年(1185年)の八島・壇の浦の戦いが描かれ、ついに平家は滅亡していく。
源義経は改めて平家追討を誓い、西国へ向かう。八島の戦いでは、那須与一の扇の的や、義経の弓流しなどが描かれる。次第に海上へと逃れていく平家は壇の浦でついに敗戦が確定し、二位の尼は安徳天皇を抱いて入水、平家一門もことごとく海に身を投げた。宗盛父子は生捕りとなり、のちに斬られる。一の谷で捕らわれた重衡も斬首された。武勲を挙げた義経だが、頼朝の不興を買い、腰越でとりなしの書状をしたためる。
01 逆櫓(さかろ)
平家追討の院宣を受けた源義経(よしつね)は八島へ向かう。出港にあたり、梶原景時(かじわらかげとき)と逆櫓を取り付けるか否かで口論になる。逆櫓を不要とする義経は嵐の中、少数で阿波国への渡海を敢行した。
02 勝浦 付大坂越(かつうら つけたりおおざかごえ)
勝浦に上陸した義経は在地武士・近藤六親家(こんどうろくちかいえ)の案内で桜間介能遠(さくらばのすけよしとお)の城を攻め、さらに八島を攻めるため大坂越の山を越える。源氏が内裏に火をつけ攻め込むと、平家はあわてて海上に逃れた。
03 嗣信最期(つぎのぶさいご)
源氏が少数だと知った平家は反撃に出る。佐藤嗣信(さとうつぎのぶ)は義経の身代わりとなって能登守教経(のりつね)に射殺されてしまう。
04 那須与一(なすのよいち)
平家は小舟に美女を乗せ、扇の的を立てて源氏を挑発する。義経の命を受けた那須与一は見事に扇の的を射る。
05 弓流(ゆみながし)
的を射たことに感極まって舞い始めた平家の男をも那須与一が射倒す。両軍の戦闘は再開され、平家方・悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)が源氏方・みをの屋の十郎の錣(しころ)をひきちぎる。混乱の中、義経は弓を落とすが、強弓でないことを嘲笑されるのを恥じて、必死に拾い上げて戻る。
06 志度合戦(しどかっせん)
平家は志度の浦に退却し、海上をさまよう。田内左衛門教能(でんないざえもんのりよし)は、伊勢三郎義盛(いせのさぶろうよしもり)にだまされて源氏に降伏する。その頃、梶原一行がやっと八島に到着し、嘲笑される。
07 鶏合 壇浦合戦(とりあわせ だんのうらかっせん)
熊野別当湛増(くまののべっとうたんぞう)は闘鶏占いの結果、源氏につき、伊予の河野四郎通信(かわののしろうみちのぶ)も源氏につく。決戦に際し、義経と梶原は先陣を争い対立する。門司(もじ)・赤間の関で源平の決戦が始まる。平知盛(たいらのとももり)は阿波民部重能(あわのみんぶしげよし)の心変わりを疑うがなすすべがない。潮の流れが味方し、平家が優勢となる。
08 遠矢(とおや)
和田小太郎義盛(わだのこたろうよしもり)・新居紀四郎親清(にいのきしろうちかきよ)・阿佐里与一(あさりのよいち)らが遠矢を競い合う。源氏方に白旗が舞い降りる吉兆が現れ、平家方には平家が滅びるという海豚(いるか)の奇瑞が出る。阿波民部重能が源氏に寝返り、平家方は追い込まれていく。
09 先帝身投(せんていみなげ)
さらに源氏は平家方の水手(すいしゅ)舵手(かんどり)を射殺したため、平家の舟は崩れていく。平知盛は敗戦を帝の舟に告げる。二位の尼は幼い安徳(あんとく)天皇を抱き、神璽(しんし=勾玉)と宝剣を携えて、海に沈んでゆく。
10 能登殿最期(のとどのさいご)
建礼門院も入水するが、源氏に引き上げられる。平家は教盛(のりもり)・経盛(つねもり)兄弟、資盛(すけもり)らが海に身を投げた。宗盛(むねもり)・清宗(きよむね)父子は死にきれずに泳いでいるところを捕らえられる。能登守教経(のりつね)は義経を追いつめるがかわされ、源氏の兵二人を道連れに入水する。
11 内侍所都入(ないしどころのみやこいり)
平知盛も入水し、合戦は終わる。平家敗北が後白河院に報告され、義経は平家の捕虜を連れて都へ向かう。三種の神器のうち神璽・内侍所が都に返還された。
12 剣(けん)
神代から伝わる霊剣のひとつである草薙(くさなぎ)の剣は、壇の浦の海中に沈んでしまった。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が大蛇の腹から取り出した草薙の剣であるから、大蛇が安徳天皇の姿になって剣を取り返しにきたのだといわれる。
13 一門大路渡(いちもんおおちわたし)
平宗盛父子、時忠(ときただ)ら平家の捕虜が入京し、大路を渡される。見物の人々は涙を流し、後白河院も哀れに思う。宗盛父子は義経に預けられる。
14 鏡(かがみ)
源頼朝は従二位となる。都では内侍所(=鏡)が内裏に戻り、神楽が催される。鏡は天照大神が鋳造なさり、今に伝わる。かつて内裏が火災になったときに小野宮実頼(おののみやさねより)がその鏡を守ったという。
15 文之沙汰(ふみのさた)
平時忠は娘を義経の妻にして、平家方に不利な手紙を義経の手から取り返し、処分する。平家を鎮圧した義経の都での評判は高く、それを聞いた頼朝は不快を表す。
16 副将被斬(ふくしょうきられ)
平宗盛は義経に頼み、幼い次男・副将と対面する。翌日、宗盛は鎌倉に送られ、副将は六条河原で斬殺される。副将の女房二人は副将の首と遺骸を抱いて桂川に入水した。
17 腰越(こしごえ)
源義経は宗盛父子を連れて鎌倉に向かうが、梶原の讒言をきいた頼朝は、宗盛父子の身柄を受け取ると、義経を鎌倉に入れずに腰越へ追い返した。義経は腰越の地で、大江広元(おおえのひろもと)に心中を吐露し、とりなしを頼む書状をしたためる。
18 大臣殿被斬(おおいとのきられ)
源頼朝と対面した宗盛の卑屈な態度は人々の憐れみをかう。義経は頼朝と対面できぬまま宗盛父子を伴って再び都に向かう。近江の篠原宿で宗盛父子は斬られ、首は都に晒された。
19 重衡被斬(しげひらのきられ)
平重衡は南都の僧たちの要求で奈良に送られる途中、壇の浦で捕えられ日野に戻った妻・大納言佐(だいなごんのすけ)と対面し、最期の別れを惜しむ。南都に引き渡された重衡は念仏を唱えた後、斬られる。妻は遺骸を引き取り、後世菩提を弔った。
作者・成立
作者未詳。『徒然草』に、平家物語の作者は信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)という記述があるが、確証はなく異説も多い。
成立は十三世紀初めごろ。琵琶法師の平曲によって全国に広まったため、巻数や内容の差異があるさまざまな異本が伝わる。当初は三巻本であったが、十二巻本に増補され、さらに灌頂巻(かんじょうのまき)が加わった覚一本が現在ではよく知られている。覚一本は、琵琶の名手・覚一(かくいち)が1371年に完成させたものといわれる。
朗読:岡崎 弥保(おかざき・みほ)
俳優・語り手。
東京女子大学卒業、同大学院修了(日本古典文学専攻)。言葉の力に魅せられ、編集者を経て、俳優・語り手に。演劇・語りの舞台に数多く出演。2010年朗読コンクール優勝(NPO日本朗読文化協会主催)。俳句「藍生」(黒田杏子主宰)会員。『源氏物語』全五十四帖(与謝野晶子訳)の朗読CDをはじめ、「おくのほそ道」「にほんむかしばなし」「小泉八雲怪談集」「ひろしまのピカ」「夏の花」等、収録多数。
●公式サイト「言の葉」http://ohimikazako.wix.com/kotonoha/
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