内容紹介
陰翳礼讃は昭和8年に執筆された随筆で、日本の生活が西洋化し日本の美が失われていくことが書かれている。
今日、日本風の家屋を建てて住もうとすと、電気やガス、水道等が日本座敷と調和するよう取り付けに苦心を払うことになる。これは、家を建てたことがなくても、料理屋旅館等の座敷を見てみれば気がつくことである。
電燈は時代おくれの乳白ガラスの浅いシェードをつけて、球をムキ出しに見せて置く方が自然で風流である。しかし扇風機などというものになると、あの音響といい形態といい、未だに日本座敷とは調和しにくい。
私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風のうすぐらい掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れていて、青葉や苔の匂いがする植え込みの陰に設けいていて、うすぐらい光線の中にうずくまり、障子の反射を受けながら瞑想に耽り、窓外の庭のけしきを眺める気持は何ともいえない。住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、日本の建築の中で一番風流に出来ているのは厠であるともいえなくはない。西洋人は不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方が遙かに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。
西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光る様に研みがき立てるが、われわれはああいう風に光るものを嫌う。かえって表面の光りが消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶのでる。手垢の光りをわれわれは「なれ」といい、大切に保存してそのまま美化するが、西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうとする。
大阪府箕面公園にドライブウェイを作ろうとしてみだりに森林を伐り開き、山を浅くしてしまうのを私はいささか意を強くした。奥深い山中の木の下闇さえを奪ってしまうのは、心なき業である。この調子だと、奈良でも、京都大阪の郊外でも、名所という名所は大衆的になる代りに、だんだんそういう風にして丸坊主にされるのであろう。が、要するにこれも愚痴の一種で、私にしても今の時勢の有難いことは万々承知しているし、今更何といったところで、既に日本が西洋文化の線に沿って歩み出した以上、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならない。私がこういうことを書いた趣意は、たとえば文学芸術等にその損を補う道が残されていないかと思うからである。私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域でも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。
谷崎潤一郎
1886年(明治19年)東京日本橋で生まれる。家業が傾き、住み込みで書生となり家庭教師をしながら学業に専念。1908年に東京帝国大学国文科に入学。1910年大貫晶川、小泉鉄らと第2次『新思潮』を創刊、『誕生』や『刺青』などを発表。1911年授業料未納のため退学。1915年 石川千代と結婚、1930年離婚。関東大震災後は関西へ移住し『吉野葛』『春琴抄』を発表。
1931年 古川丁未子と結婚、1934年離婚。1935年森田松子と結婚。1959年 右手に麻痺症状が出て、口述筆記にて執筆。1965年79歳で死去。
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