内容紹介
南北朝時代の琵琶法師・覚一(かくいち)が1371年に完成させたといわれる覚一本を、割愛することなく原文のまますべて収録しています。
「かれならん、在原のなにがしの、隅田川にてこと問ひけん、名もむつましき都鳥にや」とあはれなり。寿永二年七月二十五日に、平家都を落ちはてぬ。(巻第七・福原落)
巻第七 収録内容
巻第七は、寿永二年(1183年)四月から七月を描く。勢いにのる木曽義仲軍をおそれた平家一門はついに西国へとおちてゆく。
平家は源氏軍を追討しようとするが木曽義仲に惨敗する。比叡山の僧侶たちにも見限られた平家の衰勢は明らかとなり、平家一門は都を離れ、西国へ下る決意をする。気配を察した後白河法皇は平家から逃れ、身を隠す。住み慣れた邸宅に火をかけ、それぞれの思いを胸に平家一門は次々と都を落ちてゆく。福原にたどり着いた平家一門は旧内裏跡も焼き払い、西国へと船を出すのだった。
01 清水冠者(しみずのかんじゃ)
源頼朝(みなもとのよりとも)と木曽義仲(きそよしなか)の間に不和が生じ、頼朝は義仲を攻めようとするが、義仲は十一歳になる嫡子清水冠者義重(よししげ)を人質に差し出し、事なきを得た。
02 北国下向(ほっこくげこう)
木曽義仲が東山・北陸両道を従えて京へ攻めくるとの報に、平家は諸国の兵を召集するが応じたのは西国勢のみであった。平家は義仲追討軍として十万余騎で北陸道へ出立したが、道すがら物資を徴発したため、人民はみな逃げてしまった。
03 竹生島詣(ちくぶしまもうで)
副将軍平経正(たいらのつねまさ)は、竹生島に参詣し、琵琶の秘曲を奉納すると、明神が白竜と化して経正の袖に現じるという瑞兆が出た。
04 火打合戦(ひうちがっせん)
平家は山と川に囲まれた火打が城の木曽義仲軍を攻めあぐねていたが、平泉寺の長吏斎明(さいめい)の内通によって勝利する。のち平家軍と義仲軍は加賀・越中の国境、砺波山(となみやま)の辺りで対峙する。
05 願書(がんじょ)
奇襲作戦を立てた木曽義仲は、羽丹生(はにゅう)の八幡宮に戦勝祈願の願書を大夫房覚明(だいぶぼうかくめい)に書かせて奉納すると、山鳩が来て吉兆を表した。
06 俱梨迦羅落(くりからおとし)
木曽義仲は作戦通り、日中は平家軍を適当にあしらい、暗くなると敵の背後に回り、一気に攻撃をしかけ、平家の大軍を俱梨迦羅が谷に追い落とした。さらに義仲は志保でも勝利し、能登へと進撃した。
07 篠原合戦(しのはらがっせん)
木曽義仲は諸社へ神領を寄進した。斎藤別当実盛(さねもり)をはじめとする東国武士は平家に殉ずる。加賀の篠原合戦では今井四郎(いまいのしろう)、樋口次郎(ひぐちのじろう)が活躍し、平家軍は敗走。高橋長綱(ながつな)は入善(にゅうぜん)の小太郎に情けをかけ、逆に討たれてしまう。
08 実盛(さねもり)
斎藤実盛は最後まで名乗らずに手塚太郎(てづかのたろう)に討たれる。七十過ぎの実盛は、討死を覚悟し、白髪を黒く染め、錦の直垂(ひたたれ)を着て出陣していた。
09 玄肪(げんぼう)
戦乱が鎮まれば伊勢行幸するとの仰せがある。伊勢行幸は天平年間、藤原広嗣(ひろつぐ)追討の際が最初である。広嗣の亡霊は調伏を試みた玄肪の首を取り、三年後に頭骨を興福寺の庭へ落としたという。
10 木曽山門牒状(きそさんもんちょうじょう)
木曽義仲は、上洛に先立って大夫房覚明(かくめい)の言に従い、山門へ牒状を送り、比叡山の僧たちが源平どちらに味方をするのかを問うた。
11 返牒(へんちょう)
山門ではさまざまな論議の末、宿運の尽きた平家を見限り、源氏に同心する旨の返牒を送った。
12 平家山門連署(へいけさんもんへのれんじょ)
これを知らない平家は、一門の連署による願書を山門に送り、平家に同心を求めた。比叡山座主が願書を祈禱すると平家没落を予告する託宣の和歌が現れ、山門は源氏同心の決意をひるがえさなかった。
13 主上都落(しゅしょうのみやこおち)
肥後守貞能(さだよし)は九州の謀反を平定して帰京するが、やがて源氏が都に迫るとの報が入り、平家は西国落ちを決意する。後白河法皇はひそかに鞍馬に逃れ、平家は三種の神器と六歳の安徳天皇を奉じて都を立つ。
14 維盛都落(これもりのみやこおち)
平維盛はとりすがる妻子を残し、息子の六代を斎藤実盛の遺児に託して出立する。平家は六波羅・西八条などに火を放って、都を落ちていった。
15 聖主臨幸(せいしゅりんこう)
都は焼け落ち、平家の栄華は崩壊した。畠山重能(はたけやましげよし)ら東国武士は平宗盛(むねもり)に赦され、東国へ返された。
16 忠度都落(ただのりのみやこおち)
薩摩守忠度は途中で引き返し、歌道の師・藤原俊成(しゅんぜい)を訪ね、自分の歌を託し、勅撰集への入集を希望する。俊成はのちに「千載集(せんざいしゅう)」に忠度の歌を読人知らずとして収めた。
17 経正都落(つねまさのみやこおち)
平経正は幼い頃仕えていた仁和寺の御室(おむろ)を訪れ、宮から拝領していた琵琶の名器「青山」を返上した。
18 青山之沙汰(せいざんのさた)
「青山」は、昔、唐の琵琶の博士・廉承武(れんしょうふ)から相伝したもので、我が国の宝である。廉承武は死後、成仏するために村上天皇の前に現れ、秘曲を伝授したという。
19 一門都落(いちもんのみやこおち)
平頼盛(よりもり)はかつて母・池禅尼(いけのぜんに)が情をかけた源頼朝(よりとも)を頼って引き返す。平家一門は七千余騎で西国をめざす。肥後守貞能(さだよし)は都に残り、亡主・重盛(しげもり)の遺骨を高野へ送ったのち、東国へ下ってゆく。
20 福原落(ふくはらおち)
福原へ着いた平家一門は、平宗盛を中心に運命を共にする覚悟を決める。福原で一夜を明かしたのち、内裏等に火を放って、平家一門は船に乗り、西国へ落ちていった。
作者・成立
作者未詳。『徒然草』に、平家物語の作者は信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)という記述があるが、確証はなく異説も多い。
成立は十三世紀初めごろ。琵琶法師の平曲によって全国に広まったため、巻数や内容の差異があるさまざまな異本が伝わる。当初は三巻本であったが、十二巻本に増補され、さらに灌頂巻(かんじょうのまき)が加わった覚一本が現在ではよく知られている。覚一本は、琵琶の名手・覚一(かくいち)が1371年に完成させたものといわれる。
朗読:岡崎 弥保(おかざき・みほ)
俳優・語り手。
東京女子大学卒業、同大学院修了(日本古典文学専攻)。言葉の力に魅せられ、編集者を経て、俳優・語り手に。演劇・語りの舞台に数多く出演。2010年朗読コンクール優勝(NPO日本朗読文化協会主催)。俳句「藍生」(黒田杏子主宰)会員。『源氏物語』全五十四帖(与謝野晶子訳)の朗読CDをはじめ、「おくのほそ道」「にほんむかしばなし」「小泉八雲怪談集」「ひろしまのピカ」「夏の花」等、収録多数。
●公式サイト「言の葉」http://ohimikazako.wix.com/kotonoha/
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